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代表挨拶

はじめまして。特定非営利活動法人(NPO法人)Foster Partner代表の福元秀と申します。

私は、国立大学医学部生で、病院実習目前の学年の4年前に不慮の交通事故に遭い後遺障がいを持ちました。その突然に遭った事故により、一時意識不明となり、一度声も失いました。自身の身体能力をはじめ数多くのものを失いましたのは、言葉では表しようがない程、非常に悔しく残念な気持ちです。

しかし、幸いにして一命は取りとめ、高次脳機能(知覚、記憶、学習、思考、判断、計算、心理…等)に後遺障がいがなかったことでかつての記憶や思考に変わりはなく、周囲の多大な支えや心強い医療スタッフの方々に恵まれてのリハビリ成果もあり、大分と遅くはなりましたが、かつての自身の描いていた人生像とは形は違えど、自分の夢へ再出発しました。もちろんのこと、再出発、とひと言でいえども、身体環境も変わり、様々な憤り・苦しみは残り、また、新たな思わぬ"困った"等にもぶつかります。ですが、医業を通して他者の支えとなりつつ、社会を究めるとの夢の本幹は失わず、強く持ち続けています。

車椅子を満足に漕げなかった入院中のベッドでは、"以前とは違う身体で歩む人生ではなにができるだろうか"と卑屈に考え、最初は悲しみや憤りに暮れました。さらには、"今後一生歩けないかもしれない"自身を見つめ、そのあらゆることを考えました。

しかし、入院という生活の日々は、私に『自身の送りたい人生像』を改めて慎重に考えるだけの時間を十ニ分に与えてくれました。

そんな中、『人生はクローズアップで見ると、悲劇、ロングショットで見ると、喜劇』という、かの有名なチャップリンの遺した数多くの名言の中の一つに出会いました。

私がその言葉に勇気をもらったことはいうまでもありません。

また、病院には、様々な病気や障がいを乗り越えよう、またはうまく付き合っていこう、とする様々な患者さん、そして、どうにか患者さんの満足する生活に戻ってほしいと願い尽力するメディカル、コ・メディカルの方たちにお会いしました。

私はこうした入院生活を通して、健常では絶対に観えなかったであろう、特異な視点で医療現場というものを観ることができました。

今まで机上では学ぶことができなかった、医療とは、ヒトとヒトとの繋がりの上で成り立っているものなのだということを再認識・実感しました。

当時、私にも挙げるとキリのない後遺障がいがありました。しかし、それらを受け入れるには、時間はかかりましたが、私は、この障がいがたとえ一生残存したとしても、自分の人生の幸せまでも奪うことはできない、と考えられるようになりました。

また著名人の言葉を引用しますが、かのヘレン・ケラーさんもこう話しています。

『障がいは確かに困難ではあるが、不幸ではない。』

これは考え方ひとつで自身の人生を不幸とするか幸せなものとするか変わるのだ、と解釈できます。

もちろん、私は後者を選びます。

さらに私は、自分の生きている使命というものを深く考えるようになりました。

自分自身が経験して得た特異な観点を大切にし、大きな人間となり社会の中に立つ、ということが自分の使命であるとすることで、"病気や怪我、障がいで苦しむ患者さんの気持ちに寄り添い勇気や希望を与えられる医師、さらにはコ・メディカルなどの視点も考えられる多面的な視野を持った医師、人間になりたい"と改めて確信し、そして、その思いを実現するべく、当医学部への復学、このFoster Partnerの設立に至りました。

今は、その当時よりはいくつか克服できたものの、多かれ少なかれ、バランス障害による歩行困難や、構音障害による滑舌・声質も以前とは大きく変わり、それらをはじめいくつも治したいと思うところが残存しています。

しかし、障がいは、時間が経てば~、もっと努力をすれば~、だけでは安易には乗り越えさせてくれません。

上記のヘレン・ケラーさんの言葉通り、障がいは確かに困難でツラいものです。

されど、私は、それも私の個性なのだ、と思うようにしています。初めは、その『障がいはその人の個性』という偽善ぶった言葉が嫌いでした。しかし、その言葉の真意は、障がいを持っている個を差別することなく、ということは言わずもがなですが、障がいという不自由をまずは自身が特別視するのではなく、それは自分のできないことまたは苦手なこと、と理解し、それに縛られて生きるのではなく、自身のできること・秀でた才能に目を向け攻む(おさむ)ことをすれば、いわゆる『世の中の役に立つ』こともできますし、自身が幸せだと感じる人生を送れる、のだと思っています。

障がいは私の中の一つの困難に過ぎない、のだと。

もちろんのこと、先述しましたように、障がいを持つ、ということは物理的にも困難ですし、精神的にも大いに残念なことです。

しかし、私はこの怪我、障がいを通じて、多くのヒトの優しさにも触れ、そのツラさの反面である温かさにも気付づきました。そして、その中のほんの少しかもしれませんが、私なりにヒトに対し、もっと優しくなろうと思いました。優しさ・思いやりは、心にゆとりのある大きな人間が持つ強さの一つです。

もっとも、苦手なことを克服するように、各障がいをリハビリ等を通して克服することに力を注ぐということはツラい中でも大切なことです。

ですが、障がいは幸せの障害ではないはずです。

一方、私がリハビリを通じて学んだことは、病気・障がいを治す可不可の前に、まずはその自分の困難を自身で受け入れ・理解し、冷静に前向きに対処するということこそが、真の意味で『乗り越える』、ということなのだと学びました。

すなわち、『治った』という結果ということではなく、リハビリや治療に取り組むまたは、受け入れ前向きに付き合い方を考える、自身の困難と真摯に向き合う姿勢こそが、『◯◯を乗り越える』重要なステップということなのだ、と考えています。

そして、時と場合によりけり臨機応変な考え方の転換および対応、そしてそして、なによりまず自分自身を信じること、そしてそしてそして、なりたい自分に向かっていくという前向きな姿勢、根性が大切だと思っています。

最後に、恥ずかしながら、病院でどうなるかわからない自分に言い聞かせメモ帳に残していた自身の言葉を紹介させていただき終わりとさせていただこうと思います。

英語が好きなので、病院のベットでは、色々な文を、稚拙な英語力で自分なりに英訳して楽しんでいました。※なので、あっているかはわかりません。

“障がいのために幸せを萎縮しようとしてはいけない、見方を変えて自身の人生における幸せのための次なる挑戦とする”

Don't adjust the happiness for my own trouble. Change it in only another viwpoint to my next challenge to feel my happiness in my life.

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